道成寺を終えて

思い

この曲は能楽師にとりましても、とても特別で大切な曲でして、若手の登竜門(披き物)の一曲です。
全てが習い物(決まり事)、大胆かつ大掛かりでダイナミック、3つの伝説から構成される道成寺。
私は子供の時から道成寺のビデオばかり観ていた記憶がずっとありまして、衝撃が強かったせいか幼少よりこの曲が大好きで演じてみたく堪らなく、演じる事を許された時は綺麗事では無く、全てに感謝の念を抱きました。神様仏様、森羅万象、宇宙、世界、日本、万物に。

それは、この曲が今までの辰巳大二郎という個体に生き甲斐等後押しをして、道成寺を演じる為に、或いは今後の能楽師と言う人生に多大な影響が有ると感じたからです。

人は1人では生きれないのと同じで、能も他の音楽芸術も1人では演じられない、身の回りの方々や支えて下さる方々がいらっしゃるから成り立つ芸能です。

能の力の凄さは、其々の方々に与え伝える影響力、価値観、今迄の歴史が積み込まれており、新しい物を取り入れながら古典を活かす事。それを感じた私は次の世代に伝える必要性や義務感が有ると思うのです。
そう、過去、現在、近い未来が良ければいいのでは無く、この世界を知っている人が、知らない他の誰かに夢、希望、幸せな可能性を与えてくれる方法芸能だから。

私個人にはまだまだ未熟者で世間知らずですが、純粋な人間であり続けたいと思っています。

道成寺という場

道成寺を演じるに当たりまして、
年始に道成寺へ御祈祷に伺いました。
勿論無事に努められる事と、大難が小難に、
小難が無難にと、世の中の平和の為に。
道成寺物を演じる役者関係者は皆が御祈願に訪れるのです。

御住職様は以前から何度もお会いさせて頂いており、絵解きも拝聴しておりましたが、
実際道成寺でお話し下さる御住職様の声と、
間近で観させて頂く絵巻には感動を覚えました。
その後御本堂にて特別に御祈祷して頂き、
お札を頂戴しました。
御本尊の千手観音像はとても素晴らしく、
御顔も優しく、あの手この手で今迄万民を救ってきて下さったんだと拝見致しました。
そしてこれからも。
目には見えない不思議なパワーを感じようとする自分が居ました。
境内も広く、静かで落ち着き、桜の木が沢山植えられていた。
(桜の咲く境内の写真は後日親戚が撮った物)
桜の季節に訪れたいと思いました。

帰り際に近くのお土産屋さんにて、名物釣鐘饅頭を購入させて頂き、美味しく頂戴しました。

お稽古

道成寺の稽古ですが、一昨年の暮れより意気込みや、どの様に稽古を行なっていくか、様々な事を想定し、昨年の黒塚の後より本格的に始めました。
特に見せ場の乱拍子(小鼓との一騎打ち)の稽古は何度も住駒先生にお願いし、お互いの呼吸を合わせ、その中に緊迫感、緩急、静止、爆発力を追い求める稽古を重ねました。
(乱拍子は道成寺の階段を登って行く様子を舞にしております)
能は一期一会で、申し合わせ(リハーサル)も一回で、間を合わせ過ぎると面白く無く、わざと間を外す、目に見えないやり取りが舞台上で行われているのですが、乱拍子に限ってはそうはいきません。
幕離れ(登場)から怪しげな雰囲気を作るので、全てに注意を払いながら、今迄気に掛けていなかった事や、沢山注意しなければならない課題が現れ、気付く事、習得して行く事が稽古を重ねる事の大切さだと、これからもその事等を気をつけて稽古をしなくてはならないと、
改めて思いました。

本番、そしてこれから

様々な準備を整え、本番、3月22日。能楽師としてのスタートの日を迎えまして、朝から緊張感とワクワク感は有りながら、冷静さを意識し、気持ちを落ち着かせて出発。
お逢いする四役(シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方)の先生方、先輩方、後輩方から御祝いの言葉を頂戴し、背中を押して下さり覚悟を決める事が出来ました。
道成寺で頂いたお札を鏡の間へお祭りし、舞台へ。今迄感じた事のない重圧感、高揚感、解放感、そして大変な状況の中にも関わらずお越し頂いき、見所から暖かく見守って下さる大勢の方々の視線を感じ乍ら、また本当に残念ながら、この状況で止むを得ずお越し出来ませんでした方々にも御祝い、応援、励ましのお言葉、メールを頂戴しまして、唯々感謝、平和への願いを込めて努めさせて頂きました。
お陰様大過なく道成寺を努めさせて頂き、ドームホテルにて関係者のみの披露宴にて、第二十代宝生御宗家のご挨拶、庄司藩十八代御当主酒井忠久様よりご祝詞乾杯を賜りまして、無事に終える事が出来ました。
道成寺を終え思います事は、まだまだ未熟者乍ら、この曲を許された様々な思い気持ち感謝の念を生涯忘れず大切に、信念と責任を持って舞台に立つ事、次世代へ伝えていきながら、私自身成長して参りたいと存じます。