海人 あま(懐中之舞)

藤原淡海公の子、房前の大臣は、自分の母の出自についてくわしく知るために、讃州志度の浦へ赴きます。

そこで出会った海人は、臣下の問いにくわしく答えます。
唐(現在の中国)から送られた3つの宝もののうち、「面向不背の珠」という宝を竜宮に取られてしまい、それを引き上げて亡くなった海人こそ、房前の母であったと語ります。
珠を取り返す様子を自ら見せて、実は自分が母の幽霊であると名乗って海中に消えます。

房前が追善供養を行うと、母が龍女の姿であらわれて、成仏を喜びます。

小書「懐中之舞」では、前半の「玉之段」で床几(しょうぎ)にかかり、途中から立って舞います。後半、舞の前に子方へ渡す経を懐中して舞い、早舞の最後に渡します。
後シテは黒頭になり、面も変わります。

放下僧_ほうかぞう Houkazou

牧野小次郎の父は、利根信俊に殺され、小次郎は父の仇を討つことを決意します。
小次郎は禅門にいる兄を訪ねますが、兄は時節を待てと反対をします。しかし、小次郎は唐土(からど、中国)の仇討ち話を引き合いに出し説得に成功します。

二人は放下僧に身をやつして仇討ちに出かけます。

瀬戸の三島で信俊に遭遇した二人は、信俊の伴のものに取り入り、禅問答を仕掛ける信俊に当意即妙の返答をしながら、虎視眈々と敵の隙を伺います。

そして、曲舞や鞨鼓など様々な芸を見せた末に、信俊が油断した隙を見計らい首尾よく本懐を遂げます。

通小町_かよいこまち Kayoikomachi

小野小町が、幽霊として登場する物語。

舞台は京都の山里。修行のため滞在する僧のもとに、毎日一人の女性が届け物をします。
僧は不思議に思い身の上を尋ねると、小野小町(おののこまち)であることをほのめかして消えてゆきます。

成仏をのぞむ小町を僧が弔っていると、受戒を妨げようとする男が現れます。小町に深く想いを寄せる深草の少将です。

僧はふたりに、百夜通い(ももよがよい)の様子を語るように言うと、その様子をつぶさに再現します。
とうとう百夜目。まさに契りの盃をかわす瞬間に、少将は飲酒は仏の戒めであったことを悟りますが、ついには二人揃って、仏縁により救われるのでした。

 

石橋_しゃっきょう Shakkyo

舞台は中国、清涼山のあたり。石橋(しゃっきょう)は地名です。
仏跡を巡る旅をしていた旅の僧 寂昭法師が、前半は静かな雰囲気の中で仏教観を語ります。

法師は、そこに現れた童子と言葉をかわし、童子は長い橋の向こうは文殊菩薩の浄土であると告げます。そこで待てば吉兆があるという言葉の通りに待っていると、やがて獅子が現れ、牡丹の咲き乱れる中、獅子舞を舞い踊ります。

 

『石橋(しゃっきょう)』は、『道成寺(どうじょうじ)』や『乱(みだれ)』と並ぶ能楽師の登龍門です。激しいお囃子が舞台を盛り上げ、大輪の牡丹が咲き誇る園に、雄壮な獅子が自由に戯れ舞う姿は、まさに秘曲の一つとしてふさわしいものです。
機会があれば、ぜひご覧いただきたい能の一つです。

 

葛城_かづらき Kazuraki

修行の途中、葛城山にたどり着いた山伏が大雪に見舞われます。そこに里女が現れ、山伏を庵に案内し、火を焚いてもてなします。

やがて、里女は、自分が葛城の女神であることを打ち明けます。
その昔、不動明王に命ぜられた岩橋をかけられない咎めに、今なお苦しんでいると言い残し、姿を消してしまいます。

夜も更けたころ、葛城の女神が姿を現し、深々と降る雪の中に神楽を舞います。
自らを恥じ、夜が明けないうちに再び姿を消します。

「神楽」の小書がつくと、序の舞が五段神楽に代わり、型も異なってきます。

鶴亀_つるかめ Tsurukame

唐(現在の中国)の玄宗皇帝が治める時代。皇帝が月宮殿に入り、新春の儀式が行われます。

はじめに不老門に登場した皇帝は、一億百余人の国民に礼拝を受けることから始まります。また、毎年の嘉例として、宮殿で鶴と亀が帝の長寿の願い舞を捧げます。

皇帝も大いに喜び、自身も国土繁栄を願い舞います。

「曲入」の小書がついた場合には、曲舞が入り曲の位が高くなります。これは宝生流のみの演出となります。